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Q5.哲学カフェに板書は必要?

初めての場所やセミクローズドな場で

私は板書を使うことが多いです。初めての場所で哲学カフェを行う時は参加者の方の熱量が分からないので、基本的に使います。また、セミクローズで開催する時も使用します。

初めての場所では対話の進み方のスピードや、対話に出てくる事象の幅や対話の深さがどのように変化するか予想しにくいです。そのため進行役である私自身が初めての場で緊張して頭が白くなる事を防ぐ、あるいは自身のために話を整理したり、理解を深めるために、板書をしながら頭の中で対話を整理するための時間を確保している事があります。

セミクローズで行う場合はお互い見知っている間柄のためか、会が始まってしばらくは周囲の人に遠慮する雰囲気が漂い、発言する人が少ない時があります。 そのような時に板書しておくと、板書されている内容を見ながら考えている最中だということが、周囲のひとたちにも分かりやすくなります。板書を見つめている人の考えている時間を邪魔しないでおこう、発言したくなる時まで待とうという雰囲気が醸し出され、互いの関係性に気を使ってこの人は発言を控えているのではないかというような、要らぬ心配を互いにしなくて済みます。また、他者の発言の後に自分の考えを述べると、直接、その人の発言に応答した感じになりますが、板書された内容を指差しながら発言すると、その人の発言に直接応答したのではなく、一つクッションが挟まった状態で応答できる感じがして、発言へのハードルが少し下がるように感じられるため板書を用いています。セミクローズで開催されているがゆえに、自身が発言した内容に応答するような発言が、単に内容の確認であっても、話の内容ではなくその人全体を批判されたように感じて感情的になられる場面を経験します。その後の人間関係に影響する可能性もあるので、前述した理由で板書を用います。

一方、板書を使わないこともあります。継続的に開催していて慣れた場所の時には使用しません。

それほど哲学カフェを開催している訳ではありませんが、私が経験している場面を思い出すと上記のような理由から基本的に板書を使用しています。

玉地雅浩(正会員)

記憶や整理の助けに

私はホワイトボードなどがあるときは、基本的に板書をします。

ホワイトボードの準備がないときは使わないこともあるので、なくてはならないもの、というわけではありませんが、私はあった方が絶対いい。

どうしてあった方がいいかという理由をいくつか考えて記してみます。

  • 参加者から出てきた話のキーワードなどを板書しておくと、「記憶すること」に頭の容量をあまり割かなくてもよくなる分、進行により集中できる。
  • 板書しながら自分の考えを整理できる。(板書を参加者にやってもらったこともありましたが、それだと拾うポイントが違うところもあって、あまり自分の役には立ちづらいものでした)
  • 参加者にとっても、対話が前の話につながっていく場合など、そのつながりが視覚的にもわかって、話の流れについていきやすくなるし、前の話題にも戻りやすい(ように思う)。

板書するときに気をつけていることは、勝手な言い換えはしないことです。短いキーワードを抽出しづらい時は、長いセンテンスでそのまま書くこともあります。そして、発言してくれた人に、必要に応じて確認や問いかけを行います。それによって、発話者と進行役と参加者との間の考えをすり合わせる機会も生まれるように思います。

また、私の板書は端から整然と書くようなものではなく、どちらかというと、真ん中のテーマから四方に放射するような形をとることが多く、ハイパーリンクでつながっていくようなイメージで、前の話題にも比較的アクセスしやすい形かなと思っています。(でも、汚くてわかりづらいと思ってる人もいるだろうなという気もします。)

この文章を書きながら気づいたことは、私の場合、板書は第一に自分のためにやっているなということです。板書があってわかりやすかったという声もいただくので、参加者にとっても利点はあるように思いますが、逆に何か私が板書することによって参加者が居心地の悪い思いをすることがある可能性があるのかどうか、考えてみたいと思いました。

楠本亜紀(正会員/Landschaft

カフェで始まった意味

私の開催する哲学カフェでは板書を行うことはほとんどありません。もちろん板書にはいくつもメリットがあり、開催する現場の性質に応じて私も使うことはあります。しかし、街中のカフェで開催するような哲学カフェには板書は似合わないと個人的には思っています。(コミュニティボールなどのトーキングオブジェクトも。)

板書が無いだけでなく、周りがザワザワして、ときには他のお客さんにも気を配る必要がある。そんな議論には不向きに見える空間で哲学カフェを開催する意義を私は積極的に見出したいと思っています。今では様々な場所で開催されるようになった哲学カフェ。この活動がカフェで始まった意味を、みなさんはどう考えますか?

山本和則(正会員)

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