生きることはやめられないのと同じ
生きることはやめられないのと同じで、哲学対話もやめるわけにいかないのです。汲み取るべき言葉やサインを見逃した、あるいは前に出すぎた、ファシリテーターの自分に失望します。じつは参加者に腹が立つこともあります。対話の本質的限界を呪うことも。それでも、大きく息を継いで、乗り越えます。勉強して自分を養って、対話に帰って来たいと思います。
人々や現象や社会をつねにウォッチする。そして次のテーマを考える。大きな意欲と周到な準備を盛り込みつつ、始まれば忘れて、対話の流れに身を任せたいです。いわば、対話を生きる、かな。輝く目に出会うと、こちらの胸も躍ります。かりに私自身に発見がなくても、他の人に発見があればいい。自分の感覚を信じて、事後のアンケートには目を通さない(かもしれません)。新たな対話環境(AI?)や新たな(タイプの)ファシリテーターが登場することも、すごく期待しています。大きな事業は起こせない私ですが、哲学対話を通して、社会と次の世代に地味に貢献していきたいです。
中岡成文(正会員/一般社団法人 哲学相談おんころ)
ステークホルダーとのコミュニケーション
哲学対話を実施する際のステークホルダーは誰でしょうか。参加者、主催者、依頼者、会場の提供者、一緒に会を運営する人などなど。哲学対話を長く続けるためにはそうした方々とのコミュニケーションは欠かせません。
以前、関係者とのコミュニケーションを怠り、哲学対話を辞めたことがありました。なんと2度も。問題が生じた際に、本来ならとことん話し合うべきですが、「面倒なので」ろくに話もせずに辞めてしまいました。日頃から対話は大切だと言っておきながら、その本人が対話を拒んだのです。そのうえ、当時は自分が被害者だと思っていたのです。でも実は、それまで哲学対話の実施に尽力くださった方々の善意を蔑ろにしてしまったのです。
自分の誤りに気付いたのはそれからかなり月日が経ってからでした。哲学対話ができるのは多くの方の協力があってこそ。そのことを忘れずにいたいと思います。
廣井泉(正会員)
無理せずのんびりやる
「定期的に開催しない」「無理に続けようとしない」ということが、長く続けるためのこつだと思います。また、「手間暇をかける」ことも、個人的には大切だと思っています。
頑張って定期開催を試みたとしても、無理を重ねて身体を壊してしまっては、本末転倒です。自分に出来る範囲で、無理のない範囲でひらけば良いのです。別に、数人だけの参加でもいいではないですか。参加者がたくさんいればいいだなんて、誰が決めたのでしょうか。
開催する場所も、じっくりと探せばいいのです。広場、公園、図書館、喫茶店、教会、お寺・・・。どこででも、言葉を交わすことはできますよ。もちろん、場所を借りるのであれば、きちんと手続きを踏むことは大切です。礼を尽くし、言葉を尽くすのです。哲学カフェは、人間と人間とでなされる、対話の場なのですから。
きれいで、格好いいデザインのチラシを準備しなくてもいいのです。手書きであったとしても、心意気が伝わればそれで十分。現代は、デジタル化が進む情報社会ですので、むしろ手書きは味わいがあってよろしい。絵を描いてもいいと思いますよ。手書きのイラストなんて、素敵じゃないですか(ふと思いついたのですが、チラシで使う紙を漉くのもいいですね)。それに、チラシは大量にまかなくたっていいのです。なじみの食堂や喫茶店に出かけたときに、数枚のチラシを手渡して、お願いするのはいかがでしょうか。人間的でいいではないですか。ウナムーノのように語ってみましょうか。哲学とは、肉と骨を備えた人間の営みなのです。
野菜だって、お花だって、土を耕し、水や肥料を与えなければ、育ちません。対話の場も、似たようなものです。地道に、じっくりと育っていくのです。のんびりやることが、長く続けるためのこつです。私は、そう思っています。
辻明典(正会員)
止める理由を最小限に
メンバーによって答えが違う可能性が高い、これも答えのひとつかもしれません。ゆるやかな共同体の世話人という面があるので意見が違うことをかなり許容します。存続させる方向であれば意見の相違を許容できます。
次に、止める理由を最小限にすることを目指して組み立ています。困ることや面倒なことは回避できる体制を作っています。例えば、なごテツは開催日を固定していて、場所をお借りしている店舗にもお伝えしています。開催日には基本的に複数の世話人が参加しますので、急用などができた場合にも誰かが開催します。ひとりでも世話人が会場にいれば、常連参加者にお手伝いを依頼できるので運営が可能です。
他には、進行役は頑張らないことを世話人同士で共有しています。常により良い進行役を目指すとどうしても無理がでてきて嫌になりやすくなります。もし現状に物足りないのであれば別の場をつくってもらうお手伝いをする予定でおり(現在は残念ながら新規希望者がおりませんが、おなごテツ、なごテツ濃い目、ネット上のなごテツ、西宮の哲学カフェはこれにあたるかと思います)、なごテツは初心者向きの哲学カフェ入門編であり続けるゆるくあり続ける予定です。これはなごテツが集客に困らず、キャンセル待ちの方がいる状況なので可能ともいえます。当初、3人の世話人で始めましたが、最悪3人でも哲学カフェが成り立つという強みがありました。参加費無料(お店の飲食費のみ)で開催しているので参加費という責任がないこともあります。気をつけていることとしては、参加者に撮影の許可をもらい、開催中の様子がわかること、とくに女性参加者がいることがわかるとおじさんばかりの場所ではないことをアピールできれば、新規の方が来やすいのではないかと考えています。
HPの管理や開催時のレポート以外には手間のかかることがほとんどない、開催は自分たちが参加したいのでその時間は手間ではない。
なにかあった場合の話し合いは多数決を基本としています。そのため世話人の人数はできるだけ奇数になるようにしており、議題ごとに各自が拒否権を主張できるかどうかも決めています。(カフェフィロ会員を継続するかどうかは、拒否権ありとして話し合いました。継続を拒否する人がいるならば多数決で継続が多くても否決可能なルールでした。)
中心を作らない、(こちらはなごテツの骨組みを作った井下の強い意志です。)誰かの哲学カフェにしないことを目標にしています。主催者のことでもあり、哲学カフェの場でも進行役が中心になりすぎないようにと考えています。
HP等の維持費は開催時の寄付金で賄っています。(カフェフィロの会費も)
高橋秀和(パートナー会員/なごテツ世話人)
多様性が適所で発揮される
昨年2025年、当会は創立15周年を迎えました。ここまでの長期にわたり活動を続けられた要因は、概観して次の3つと考えています。第1:組織の長期的目標を持たない、第2:対話の振り返りで哲学的観点から反省しない、第3:参加者の要望や関心に応じ続ける、です。
第1要因の理由は、当会代表の私見では、哲学対話はそれ自体が目的であり、その活動に目標を置くことにあまり意味がなく、強いて言えば楽しむことが目標と考えて設定していません。
第2要因の理由は、当会の運営スタッフは哲学対話の参加者有志が源流となった経緯から哲学の知識を持たない素人であるため、主に対話の場の安全性や、発言の自由の度合い、新しい発見の有無などを振り返る程度に留めています。これら第1と第2の要因は、組織の目標達成度や学問的な意義等を運営スタッフに過度に反省をさせずに、気楽な運営を可能としています。
第3の要因には、当会が通常の哲学対話以外にも読書会や対話型美術鑑賞と哲学対話を組み合わせたワークショップ等の哲学プラクティスを実施している多様な活動範囲があり、それらから幅広く参加者の需要を把握できる背景があります。第3の要因は、第1第2の要因と比較して、より積極的な意味からの当会の強みと言えるかもしれません。
つまり、当会が長く続けることができた要因は、運営は反省せずに気楽にを心掛けて、複数の哲学プラクティスにより参加者の需要を広く把握できる点にあります。しかし、さらにその根底には、過去からの入れ替わりを経て現在に至る全ての運営スタッフに一貫する多様性が適所で十分に発揮されることによる貢献が大きな比重を占めて存在をしていて、何よりも運営スタッフ自身が楽しむことがその背景にあるのかもしれません。
堀越 睦(パートナー会員/さろん代表)